【京都市下京区】2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人で西田敏行さんが演じる後白河法皇ゆかりの三十三間堂近辺を紹介します。

 三十三間堂というと、修学旅行の定番コースでもあり、ともかくたくさんの仏像が立ち並ぶイメージが伝わっていますね。かつての大河ドラマ・平清盛でも俳優の松田翔太さんが熱演したのが後白河天皇、2022年の大河ドラマ・鎌倉殿の13人では、西田敏行さんが演じるそうです。平安後期、第77代天皇として即位した後白河天皇は、わずか3年で二条天皇に位を譲って以後、上皇として、約30年にもわたって「院政」を行いました。

三十三間堂後白河上皇は、当時、権勢を誇った平清盛に命じて、法住寺殿(ほうじゅうじどの)と呼ばれる院御所を創建させました。五重塔、不動堂などの諸堂を整備し、北は七条通、南は泉湧寺通り、西は大和大路通り、東は東山山麓付近までの広大な地域をしめていたというから驚きです。当時の平氏の権勢を改めて痛感させられます。その院御所の中心に創建されたのが三十三間堂でした。

 諸説ありますが、桃山時代、交通の要所だったこの地に目を向け、後白河院や清盛の栄華にあやかろうと思い立った 秀吉は、その権勢を天下に誇示するため、奈良の大仏を模した大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営します。本堂や後白河上皇の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築きました。今も、その遺構として南大門・太閤塀が残されています。

三十三間堂太閤塀

 秀吉は、自らの神格化のために、三十三間堂東隣の阿弥ケ峯に壮麗な墓所を造営させました。その豊国廟から真西に向かって、ふもとに豊国社、その西に、淀君との最初の子で早世した鶴松を祀った祥雲禅寺、その西に、方広寺大仏殿、さらに真西に向かったところに、本願寺に土地を与えて、西向きに阿弥陀堂を建てさせ、一直線上に配置しました。つまり、正面通は、神になった秀吉が二十五菩薩とともに来迎すると言われる阿弥陀如来とともに極楽浄土へ向かう道だったのです。
豊国神社
 
 秀吉が没した後に、その野望を阻止したのは、やはり徳川家康でした。家康は、豊国廟、豊国神社を壊滅させ、祥雲禅寺を、秀吉が壊滅した根来寺由来の智積院に与え、方広寺は 妙法院の管理としました。さらに、方広寺と本願寺の間には、かつて秀吉が隠居させた教如に東本願寺を創建させ、本願寺を分裂し、東向きに阿弥陀堂を建てさせました。さらにその間に、東本願寺に土地を与え、渉成苑を建てさせたのです。
西本願寺唐門
 
 秀吉が神となって西方浄土へ赴く、また衆生が秀吉を参拝するとされた、豊国廟から本願寺の直線を、ことごとく分断したのはやはり家康だったんですね。

 このあたり、あまりお金をかけずに散策できますので、人に出会わない時間にでも出かけてみればいいのでは。

2021/08/25 06:03 2021/08/25 06:11
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