【京都市上京区】西陣の織屋街をめぐる、12月19日の元生糸問屋の専務さんのツアーで風情ある機織りの音が聞こえてきました!
2021年12月19日に行われた、京都の住民がガイドする京都のミニツアー「まいまい京都」主催の西陣の裏みち小みちのツアーでは、元生糸問屋の専務でもあり、西陣・千両ヶ辻の郷土史研究家でもある仲治實さんに、織物司が通した紋屋辻子や斎王が暮らした地、糸を染める西陣五水などを案内していただきました。
スタート地点の京都市考古資料館から観世辻子の方に歩いていると、いきなり「カシャカシャパタパタパタン」と機織りの音が響きます。仲さんは「かつてはあちこちからうるさいくらいに、この音が聞こえたんやけどな。今は受注があったときにしか織らへんから今日はラッキーやったな」と言います。
観世辻子、観世新道、和菓子の鶴屋吉信の銘菓「京観世」はここから来ているのだとか。慈眼庵辻子、石屋辻子、曼荼羅辻子と角を曲がるたびに名前が変わります。仲さんによると「織屋建てと言われる町家は機織り機を入れる必要に迫られて屋根が高い。職人の街やったから家風呂がなく、昔は銭湯も多かった」と言います。
西陣の中ほどにある妙蓮寺の南、妙蓮寺前町にある灰屋辻子の中ほどには、立派な西陣織の暖簾がかかった地蔵堂がありました。五体安置されている地蔵の内の一体が、元は遊郭・島原の大門脇にあり、女郎の足抜けを止める「足止め地蔵」とされていました。仲さんによると「西陣の職人と恋に落ちた女郎が逃げ延びる手段としてここまで担いで来た」のだそう。おかげで二人は後に無事結ばれて、それ以来「足抜け地蔵」と呼ばれるようになったと伝承されています。
この辺りは、かつて祇園祭と肩を並べたほどの今宮神社の祭礼、今宮祭の鉾町でもあります。その鉾参道を抜け、櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)へ。平安時代に創建され、平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂社に奉仕する斎内親王、斎王が身を清めて住んだ御所(斎院)のあった場所で、「紫野斎院」とも称されていました。応仁の乱で灰塵と帰しましたが、秀吉の命により山内一豊によって再建されました。
その他にも、春には歓喜桜や御衣黄の綺麗な雨宝院・西陣聖天宮やかつての職人長屋、今はアーティストなどが暮らす紋屋辻子、三上家路地などをめぐり、楽しくてためになる話をたくさん聞かせていただきました。みなさん、西陣の街へ一度は出かけてみてください。他にも京都観光なら、まいまい京都でのツアーがお薦めです。