【京都市上京区】都を守ってきた方位の神・大将軍たちの神像80体が迫力あります!方徳殿には渋川春海の天球儀も!
一条通りにある大将軍商店街は、妖怪ストリートとされています。平安時代の京都で起こった百鬼夜行(多くの異形の鬼・妖怪たちが夜中に徒党を組んで行進する現象)の通り道だったとされることから、各店舗ではかわいい妖怪たちが出迎えてくれます。
大将軍八神社は、そんな大将軍商店街の中ほどに鎮座しています。平安京造営の際、古代中国の道教の影響を受けた陰陽道により、大内裏(御所)の北西角の天門には方除けの星の神々が祀られており、場所を移すことなく千年以上に亘ってあがめられてきました。桓武天皇は、北に山(玄武)=船岡山、東に川(青龍)=鴨川、南に池(朱雀)=巨椋池、西に道(白虎)=山陰道、と四神相応の土地を選択すると同時に、鬼門、裏鬼門を寺社仏閣で固め、さらには大将軍を祭神とする4つの大将軍神社を四方に置いたのです。
かつて日の本の都は、皇位継承に関わる血みどろの政争に明け暮れた平城京から長岡京へ遷都しましたが、長岡京でも骨肉の政争は収まらず、十年後にはさらに平安京へと遷都がなされました。 時の朝廷は新たな都を最澄、空海を始めとする密教や陰陽道に基づいて包囲網を形成して王城鎮護しようとしたと言われます。
諸説ありますが、当時の人々、とりわけ権力者たちは、「不幸の続く元凶はかつての政争で追いやった者たちの怨霊のなせる業」だと信じていたからでもありました。病気・地震・旱魃・雷・洪水などの災害もまたしかりです。かつては牛頭天王(ごずてんのう)の弟とされていた大将軍ですが、現在は素戔嗚尊(スサノオ)として奉られています。
方徳殿(収蔵庫)には、けやきや檜の木で造られた神像80体(内79体が重要文化財)がずらっと居並び睨みをきかせます。神像の視線は部屋の中央に集まるような配置になっていて、その壮観な姿は、大将軍信仰が最も盛んだった平安中期から鎌倉末期(900年~1200年)にかけて制作された神像たちです。武装像50体、束帯像29体、童子像1体となっています。
実は、密教や陰陽道の宇宙観をあらわす「星曼荼羅」の世界を、星を司る神像を並べて立体的に表現した「立体星曼荼羅」なのです。明治以降の外来神の排除などで、大将軍信仰が薄くなったこともあって、これだけの数の神像が一箇所にまとまって伝わっているのは日本でここだけなのだそうです。さらに、「天地明察」で話題となった渋川春海の天球儀なども安置されています。
京都屈指のパワースポットへぜひ行ってみてください。