【京都市中京区】花見の宴発祥の地、祇園祭の始まったところ、平安風情をわずかに残す池辺の桜が満開です。神泉苑
御池通にある神泉苑の法成就池の桜が見事な咲きっぷりを見せています。
(2021年3月30日現在)
現在は二条城の南隣にこじんまりと佇む神泉苑ですが、平安京が造られた頃、桓武天皇によって造営された時には、大内裏の南東に位置し、苑内には、大池、泉から池に流れ込む小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ南北4町東西2町の広大な庭園でした。
平安時代には、苑池での管弦の宴などに用いられた豪華絢爛な竜頭鷁首(りょうとうげきしゅ)の舟などが行き交い、 貴族たちが優雅に遊興にふけったことでしょう。
その後、嵯峨天皇が 弘仁3年(812年)に神泉苑で「花宴の節」を初めて行い、 桜の花見と詩宴を催しました。 これが花見の宴のルーツと言われています。
(2021年3月30日現在)
貞観5年(863年)には疫病が流行り、その後、大地震や、富士山の噴火など、全国的な災いが相次ぐ中で、神泉苑にて御霊を鎮めるため朝廷による御霊会が行われました。 全国の国の数、66本の鉾を立て、 祇園社(八坂神社)から神泉苑に御輿を送り、厄払いをしたと言います。後に、これが町衆の祭典として、 鉾に車を付け、飾りを施して 京の都を練り歩く、祇園祭となりました。
江戸時代には、徳川家康が二条城を築城する際、 神泉苑の湧水を 取り込み、城の内濠、外濠を満たすこととなり、 名苑は縮小衰退していくことになります。天明の大火によって、神泉苑の各社も多く焼失してしまいました。
ところで、節分で恵方巻を食べる時のその年の方角は、この神泉苑の恵方社の方角になるんですよ。
苑内で平安時代に思いを馳せて、自由に散策を楽しんでくださいね。
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