【京都市下京区】お西さんの国宝・日暮らし門が約三年ぶりに、きらびやかな姿を現しています。修復工事は3月まで続きます。 西本願寺唐門

 本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、正式名称を「龍谷山本願寺」といいます。「西本願寺」、地域の人たちや檀家さんらからは、親しみをこめて「お西さん」とも呼ばれています。

西本願寺

 元亀元年(1570)から始まった織田信長との11年に及ぶ石山戦争の後、紀伊鷺森や大坂天満へと流転しましたが、天正19年(1591)豊臣秀吉の京都市街改造計画にもとづいて再び京都に帰することとなり、顕如上人が六条堀川の現在地に寺基を移して以後、この地にあります。

 世界遺産にも認定されている境内には、親鸞聖人の木像や歴代宗主の影像を安置する御影堂、阿弥陀如来の木像や聖徳太子など高僧を安置する阿弥陀堂、金閣、銀閣と並ぶ三閣の一・飛雲閣など、国宝や重要文化財だらけです。

唐門修復

 なかでも、2018年6月 ~ 2022年3月(3年10ヶ月)まで、修復が行われている国宝「唐門」は、桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き・唐破風の四脚門です。その豪華絢爛な彩色や彫り物を一日中見ていても飽きないところから、「日暮らし門」とも呼ばれています。

 このほど、屋根・漆・彩色・錺金具の各修復工事が完了したため、唐門を覆っていた素屋根の解体作業が行われました。防災メッシュシートと屋根板が取り外され、内部の足場や骨組みも解体されました。素屋根が解体され、修復された唐門が約3年ぶりに姿をあらわしました。この後は基壇部分に敷かれている敷瓦の修復を行っていくと言います。

日暮らし門

 実は西本願寺は、新選組が一時屯所としていたこともあります。長州派と見られていた西本願寺へのけん制だったとも。太鼓楼は、重層の楼閣で、内部に今も残る大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていました。 新撰組による刀傷が、今も残っています。

太鼓楼

 周囲は朝散歩やランニングの絶好のスポットになっています。この時期は、静かに参拝できますよ。

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