木屋町・先斗町に静かにたたずむ瑞泉寺、豊臣秀次と一族の悲しき歴史
京阪三条駅を降りると、今日も鴨川は涼しげに流れています。
こちらは、豊臣秀吉の甥・豊臣秀次とその一族が眠る場所です。境内にはゆかりの品や資料が展示されていました。
秀次は秀吉の計らいで朝廷から高い官位を授かり武家の公卿になり、豊臣家に尽力を注ぎます。しかし、後継者問題や周辺の嫉妬により、次第に悪評が広まっていってしまいます。
秀吉は秀次を後継者にした決断は誤りと思い込み、邪魔な存在となり、文禄4年(1595年)に謀反の疑いで高野山で切腹させ、彼の子供と妻妾とその侍女34名(正確な人数は不明)を三条河原で処刑しました。
慶長16年(1611年)に秀次らの菩提を弔うために一宇を建立しました。寺伝によると現在の瑞泉寺の本堂はもとの塚の位置に建立されているということです。境内西南に、修築した秀次の石塔がまつられています。その左右には昭和17年に建てられた49基の小五輪塔が並んでいます。
今回の取材で、秀次と一族に伝わる悲劇の歴史が身近にあったことに驚きました。
(がんばるマン)