【京都市中京区】本能寺の変の話題はいまだにつきませんね!あれっ漢字まちがってる? 法華宗大本山本能寺
2020年の大河ドラマ、「麒麟がくる」で主人公となった明智光秀は京の都との関りが深く、ここ法華宗大本山本能寺にも聖地巡礼に訪れる人が多かったようです。放映後、メディアなどでも、明智光秀は実はその後も生き延びた?本能寺を襲った時、光秀は後方部隊で指揮を執っていた? 黒幕は誰?といまだに話題が尽きませんね。
さて、寺町通と御池通に面する現在の本能寺は、変の後、秀吉の京都大改造で移転した場所にあります。信長を急襲した当時の本能寺は東は西洞院大路、西は油小路通、北は六角小路、南は四条坊門小路に約120m四方に渡り、七堂伽藍を有する大寺院だったといいます。寺とはいっても堀や石垣などで囲まれ、城のような作りであったとも。
諸説ありますが、本能寺が跡形もなく焼け落ち、信長の亡骸も見つからなかったのは、宣教師ルイスフロイスの記録から、種子島にも末寺を有する本能寺の地下に、黒潮ルートを利用して、大量の鉄砲と弾薬が備蓄されていたからだとも言われます。
現在の本能寺の宝物庫には種子島を通じて室町幕府管領・細川晴元に、鉄砲と火薬を献上したとの古文書なども展示されていました。(京都全域における緊急事態宣言発出のため、宝物館は4月26日から5月11日まで休館となります)
ところで、本能寺の扁額にある能の字のつくりが実は「去」になっているのをご存じでしたか。これは間違いではなくわざとなのです。
本能寺は、本能寺の変の後も、天明の大火や蛤御門の変などで、創建以来実に五度の焼失をしています。ですから、ヒは縁起が悪いということで、火が去るようにとこの字になってるのだそうです。
歴史ロマンを感じながら、本能寺と本能寺跡を静かに聖地巡礼してみませんか!