【京都市上京区】相国寺で初公開資料が40点の貴重な宝物展が始まります。 禅僧は何を学んでいるのか、権力者とのかかわりなどがよくわかります!
相国寺は、禅宗の一つ、臨済宗の寺格で京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺。十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。その相国寺の承天閣美術館で2021年11月23日(火・祝)から2022年1月23日(日)まで、「禅寺の学問₋継承される五山文学 相国寺の歴史と寺宝Ⅱ」が始まります。
同美術館の須賀集信参事によると、「普段は相国寺の各塔頭に保管されている寺宝がたくさん集まりました。僧侶たちからみても、そんなんあったんやというくらい、貴重な品々です。約80点のうち、40点が今回初公開です」と話します。
第一展示室には、来朝僧の無学祖元がもたらした大陸文化を引き継ぎ、夢想疎石が開山して以来、禅寺の学僧たちが何を学んでいたのかがよくわかる展示がされています。相国寺の塔頭の一つ、鹿苑寺(金閣寺)所蔵の伝吉山明兆筆の三教図からは、禅僧たちが仏教に止まらず、儒教や道教についても見識が深かったことが伺えます。
狩野元信筆による縄衣文殊図は、同美術館の本多潤子学芸員によると、「文殊菩薩が修行の山から出てきたばかりの長髪姿で描かれいる珍しいもの。修行の厳しさを物語っている」と言います。同様に山から出てきたばかりのぼさぼさ頭の釈尊(釈迦)が描かれた作品もありました。
第二展示室には、創建の室町時代から織豊時代を経て、江戸時代に亘って果たしてきた外交官としての役割や当時の権力者たちとのかかわりが分かる資料が並んでいます。
西笑承兌(せいしょうしょうだい)は、豊臣秀吉や徳川家康の顧問・外交僧的役割を務めた人物で、朝鮮出兵の際、明皇帝からの屈辱的国書を秀吉の前で読み替えずに堂々と読み上げた気骨でも知られます。その西笑承兌筆の外交文書も公開されています。
足利義満像、十牛図や朱印船貿易における家康の黒印状、藤原 惺窩や林羅山など儒学者ゆかりの寺宝もあり、五山文学の中心として、漢詩文にも優れた相国寺の禅僧が政治の中枢でかかわってきた様子がよくわかります。
時間を忘れて見入ってしまうほどの歴史の醍醐味を堪能できる中身の濃い展示となっていますので、ぜひ足を運んでみてください。マスク着用でお願いしますね!