【京都市東山区】京にも奈良の大仏より大きな大仏があったんだって?京の冬の旅 方広寺

 桜や紅葉といった自然の魅力だけでなく、冬の時期に文化財や伝統文化・産業などの奥深い京都の魅力を伝え、ゆっくりと観光を楽しんでいただきたいと始められた「京の冬の旅・非公開文化財特別公開」も今年で55回目を迎えています。

 日頃見ることができない、各神社、仏閣の自慢の宝物が、その年に限って公開されるため、人気を博してきましたが、今年はコロナ禍で何度かの延長を余儀なくされ、この時期の公開となっています。

京の冬の旅 方広寺

   その一つ、かつて安土桃山時代に大仏殿を有したことでも知られる方広寺の文化財もこの時期限定で見ることができます。開催期間は2021年3月1日(月)より特別公開開始、4月11日(日)まで延長となりました。

 七条通三十三間堂の交差点にある交番には、大仏前交番の看板があります。多くの観光客の方が、「あれっ大仏は奈良じゃなかったっけ」と驚かれます。

大仏前交番の看板

   実は信長亡き後、秀吉が京の都にいた時代に、前田玄以と木食応其に命じ、高さ約19メートルという奈良の大仏より大きい大仏が建立されました。残念ながら慶長元年(1596年)に起きた慶長伏見地震により、開眼前の大仏は倒壊しました。このとき秀吉は大仏に対し「おのれの身さえ守れないのか」と激怒し、大仏の眉間に矢を放ったとの伝承もあります。

京の大仏殿跡公園

   その後、秀頼や家康らにより何度か再建が成されましたが、そのたびに焼失、倒壊し、今日その姿を見ることはできません。方広寺さんの特別公開では、本堂において、かつての大仏の10分の1の大きさで江戸期に造られた盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像や、大仏殿の欄間に施されていた左甚五郎作の龍の彫刻(部分)などが展示されています。

 また、方広寺には、諸説ありますが、「国」「君臣豊楽」の句が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康を冒瀆するものとみなされ、最終的には大坂の陣による豊臣家の滅亡を招いてしまったとされる方広寺鐘銘事件の梵鐘が境内に残されています。

方広寺国家安康の梵鐘「京の 大仏つぁんは 天火で焼けてな三十三間堂が 焼け残った ありゃドンドンドン 」という京のわらべ歌を口ずさみ、大仏と東寺の五重塔が悠然とそびえ立つ、かつての京の景観を思い浮かべながら、時空の旅を味わって見るのも素敵かもしれませんね。

 

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